イギリスでの産業革命
(風車、水車、蒸気機関への変遷)

 

風車の技術と歴史−5


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イギリスでの産業革命

 今回は、風車を衰退へと導いた産業革命について、その背景と影響、社会的変化をみる。我々は、これまで第1次、第2次、そして第3次の産業革命を経て、現在、IT革命の中に生きている。イギリスでの「繊維機械・工業」と「蒸気機関」に関する二つのビデオを見てその意味を考えたい。

  ○ イギリスの産業革命の原因

 イギリスは、17世紀にオランダ、18世紀にはフランスを破って世界の海上権を握り、広大な海外市場を獲得した。この間、ギルド制に縛られない問屋や工場制手工業(マニュファクチャア manufacture)が発達し、大資本家が誕生し、企業を興した。
 一方、農業でも大量生産・営利主義が発達し、大地主が中小農民の土地や村の共同地を接収し(農地の囲い込み enclosure)、資本家はこれを賃借し耕作技術を改良し、大規模農場を営んだ(農業革命)。このため多くの農民が土地を失い、農業労働者として雇われ、あるいは都市に流入し労働者となった。
 こうして、イギリスは多くの資本と労働力を保有し、石炭・鉄などの資源にもめぐまれて、しかも17世紀以来の自然科学と技術の進歩が新しい生産技術が発明されたので、大いに工業生産の拡大が行われた。これらの国内、国外の事情が相乗して、18世紀後半にイギリスに産業革命が起こった。

  ○ 機械の発明

 従来イギリスの主な工業は毛織物であったが、18世紀に東インド会社がインド産の綿織物を輸入するようになると、毛織物にかわって綿織物の需要が高まり、特に奴隷貿易によってカリブ海諸島から輸入した綿花や中近東産などの綿花を原料とする木綿工業がイギリス国内に発達した。
 また18世紀初め Newcomen(1663-1729)が蒸気力による大気圧機関を発明していたが、James Watt(1736-1819、図30)は1769年に優秀な蒸気機関を開発した(図31)。これは紡績機や織機の動力に利用され、生産の効率をさらに高めた。こうして、風車や水車は蒸気機関に取り替えられた。しかし、これまで述べたように遠心調速機など、風車の技術が蒸気機関へ技術的貢献をしている。

図30 James Watt図31 James Wattの蒸気機関
図30 James Watt/図31 James Wattの蒸気機関

 紡績・織布・動力の諸部門における発明は木綿工業を繁栄させ、資本家は多数の労働者を雇用して機械による大工場経営を進めた。そのため、機械製造工業、その原料の鉄の精錬業、さらに鉄の溶解や蒸気機関の燃料に用いられる石炭採掘など、工業部門が飛躍的に発達した。
 表1は、繊維機械の連鎖反応による進歩の経緯を示す。そして、以下に述べるように多くの社会的変革が起こった(表2)。

表1 産業革命の連鎖反応

先駆的発明=織布作業機
ジョン・ケイによる飛び杼(ひ)の発明 (1730年代)
織布の生産性向上

糸不足

紡績機械の発明を促す
ハーグリーヴスのジェニー紡績機(家内工業)
これまでの家内工場で十分だった

アークライトの水力紡績機(図32)(1769年特許)
水力による定地式工場(工場制)の利用によって生産力増強

クロンプトンのミュール紡績機 (1779年特許)
紡績部門の優位(生産過剰)

織布部門の改良
カーライトの力織機 (1785年特許)
ワットの蒸気機関を使用

 

図32 アークライトの水力紡績機
図32 アークライトの水力紡績機

表2 産業革命による社会的変革

綿工業

蒸気機関

コークス製鉄法

交通・運輸

都市型工業
都市生活
農業の変革
労働者の成立 = 単純労働
資本家の隆盛 = 近代的労働管理
資本主義的工業社会

  ○ 交通・運輸機関の発達

 大規模な機械工業が発達すると、大量の原料・製品・鉄鉱石・石炭などをできるだけ速く輸送するため、交通機関の改良がうまれた。18世紀後半にはイギリス国内に運河が張り巡らされたが、19世紀に入り鉄道がこれにかわった。すなわち、スチーブンソンGeorge Stephenson(1781-1848)が1814年に蒸気機関車をつくり、これ が実用化されて以来、公共の陸上輸送機関として鉄道が普及した。また1807年にアメリカ人フルトンFulton(1765-1815)が試作した蒸気船は河川や海上における運輸・交通に新時代をもたらした(交通革命)。
 私が滞在したブルネル大学は、Isambard Kingdom Brunel(1806‐1859)という ビクトリア時代の著名な土木・機械技術者の名前を冠する国立大学である。Brunelは、Thames河の地下トンネル(図33)、BristolのClifton吊り橋(図34)、London-Bristolを結ぶGreat Western 鉄道、ReadingのThamesを渡る鉄道橋、LondonのPaddington駅、Saltashの鉄道橋、三つの蒸気船 Great Western、Great Britain、Great Easternを設計した。

図33 The Thames Tunnel図34 Clifton Suspension Bridge
図33 The Thames Tunnel/図34 Clifton Suspension Bridge

  ○ 産業革命の波及

 「世界の工場」と呼ばれるようになり、機械による工場生産、資本主義体制が確立した。一方で、人口の都市への集中、労働者・労働問題・社会問題などの新たな問題を呈した。
 ここで興味深い統計を示そう。1712年にNewcomenが開発した大気圧機関は、高さが10mもあったが、広範囲の用途に使われていた。1775年から1800年の間に、ランカシャーには蒸気機関が221台あったが、その用途は、表3のようであった。

表3 大気圧機関の用途

紡績工場  93台
炭坑    30台
金属工場  28台
銅山    22台
運河    18台
ビール工場 17台
水道    13台

 前述のように鉄が必須となり、木炭による製鉄では、森林資源の枯渇を導き、石炭・コークスによる製鋼がはじまった。その当時、銑鉄 1tに石炭が 10t必要であった。ベッセマー転炉が開発され、石炭鉱業も産業化し、製鉄工業は進歩し、多くの動力源も風車や水車から蒸気機関、内燃機関へ代替された。また、労働スタイルの変化、工場労働、労働時間、作業工程の管理が行われるようになった。こうしてライフスタイルに大きな変化が起こった。また、産業革命は当事者のイギリスよりもインドをはじめとした植民地での影響と犠牲が大きかった。


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