風車の起源と発達

 

風車の技術と歴史−1


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風車の起源

 今回からが本論である。風車の起こりは明確でないが、船に帆をはって走る工夫が紀元前何千年前からあり、これが風力利用の発端に上げられている。また回転運動の利用は、「ころ」を用いた重量物の運搬(ピラミッドに使われた巨石などの陸上運搬)からはじまり、「ころ」を車輪状にして回転させ水平移動させる方法へと発展した。これは水車において回転動力を取り出す技術として応用された。こうして、しだいに風力利用へと進んだ。帆船のカンバスを貼った翼を用いた風車の出現である。紀元前1000年頃には製粉用に風車が作られた。

 後期アレクサンドリアの著述家ヘロンの有名な水オルガンをならすヘロンの風車(図2)と、ヘロンの蒸気タービンは、せっかく生まれる回転運動を動力としては利用されていないのは、当時は奴隷が労働力、動力の基本で、安く数も豊富だったので、ほかのエネルギー利用を考える動機付けにはならなかったようだ。

 風車の最も古い記述は、10世紀中頃のイスラムの地理学者マスウーディーが現在のイランとアフガンの国境地帯(シースターン地方)に製粉用と潅漑用の風車があったことを記したものである。ヨーロッパでの風車の最も古い記述は、1180年頃にフランス・ノルマンディー地方で「風車のそばの土地を修道院に寄進する」というものであり、また風車の絵で最も古いものは、英国の「風車の詩篇」(1270年ごろ出版)に描かれている。ヨーロッパへは、十字軍遠征者がイスラムから技術輸入したものでないかと言われているが、ヨーロッパの初期のものは箱形で風向きにあわせ風車全体を回転させるタイプであり、これを第3次十字軍によってヨーロッパからイスラムに伝えられたことから、風車はヨーロッパ独自のものであったとする考えもある。

図2 ヘロンの描いた水オルガンを鳴らす風車
図2 ヘロンの描いた水オルガンを鳴らす風車


風車の発達

 13世紀には北ヨーロッパの平原地方に広まった。14世紀以後はヨーロッパの平原での重要な動力源として利用された。14世紀、15世紀には二つのタイプ、箱型風車(ポストミル)と塔型風車(タワーミル)がつくられた。オランダでも最初は製粉用だったが、1430年になって低地の排水用風車が現れた。17世紀にはダーン地方に700台、最盛時には北部7州全体で8000台あった。18世紀になると蒸気機関が発明され、風車も改良され、性能がアップした。しかし、風車には、風が吹くか吹かないかに左右されること、回転動力を遠くに伝えることが困難であること、その出力にも限界があること、などの欠点がある。蒸気機関の発明と19世紀後半の内燃機関の発明により風車の利用は減少した。

 既に述べた水車は、最初、ノルウェー型と呼ばれる垂直軸の形式であったが、これが水平軸のローマ型水車に改良されて、さらに19世紀になると再びノルウェイ型の改良である新型水車が登場した。水車の利用もはじめは製粉用であったが、鉱石粉砕、機織り、製材、油絞り、マスタードつくり、鍛造、ふいごなど広範に利用され、各地に広まった。水車小屋では多くの技術者が仕事に従事し、機械の改良、新しい装置の工夫が行われた。水車の軸受の摩耗・潤滑についてや、てこ、カム、リンク装置、歯車などの作り方、材料など多くの技術的問題の解決が行われた。中世ヨーロッパでは水車小屋を中心に技術が発達して、製粉所を意味するミル(mill)が工場という意味をもっているのはこのためである。

 また関連して、穀類の製粉について紹介した。人類の糧とするため紀元前から製粉が行われていた。その当時は下においた石の上にコーン(穀類)を置き、その上を石で叩いたり、石を転がして製粉を行った。このとき用いる臼をhand stone とsaddle stoneと呼ぶ。大がかりの製粉は奴隷や家畜の作業であった。二つの石の上で挽いたり砕いたりする製粉の方法はポンペイの記録にも残されている。2000年以上も前に、この作業は水車によってなされるようになった。これが風車への発展への糸口になったと思われる。すなわち、水車のホイールを風車の翼に変えた訳である。ウイリアムI世が1086年に作らせた土地台帳には5000以上の水車の記録はあるが、風車は一つも見られない。風車が初めて現れたのは1150年に初期のポストミルの形式であった。

図3 ウインブルドンの風車博物館に展示されている風車の模型の一部
図3 ウインブルドンの風車博物館に展示されている風車の模型の一部

 この回は、ロンドンのウインブルドンにあるWimbledon millの風車博物館に展示されている模型の写真(図3)やいろいろの資料から集めたたくさんの図を用い、初めての風車との出会いをわかりやすく示している。


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